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Good morning my dream.

0808、設計と幸福についての雑談

予定外のタスクが発生したため、急遽レンタカーを走らせて街へ。

提出が必要な書類だけは頑張って提出に行った。

 

高速であまり心に迫る曲を聞くのもアレだなと思って、心を安定させたいときに聞く無機質なプレイリストを流していた。用事は思ったよりすんなり終わり、折角車があるし、と思って手土産を買って研究室へ挨拶へ寄る。手土産は毎度酒で、これは弊研究室の伝統。ちなみにボスは今日も元気に怒っていた。

 

そのまま部室に行きオシロスコープを借りて最近作っているシンセもどきの波形を観察。やはりテキスト通りの波形が出ていなかったので何かがおかしい。早く友達に作ったやつを渡して反応を見たいのだが、下手なもの渡すと面白がってくれなさそうな人だからここはちゃんと詰めなきゃいけないところ。しかし回路設計は苦手……しばらく粘ったものの原因究明に時間がかかりそうでガッカリ

 

回路の本を大学図書館で漁っていたら、建築学部の後輩とバッタリ出くわす。話の弾みで”人間の幸福と構造”みたいな話になり、二人してシャルル・フーリエの本を探しに行く。(参考:フーリエのファランステールとゴダンのファミリステールの比較)うちの大学は建築とデザインが強いから、ドローイングがたくさん挟まってるタイプの、かなり参考になる本があった。

なんというか、マルクスにしてもそうなんだけど、こういう人たちは本当に箱庭が好きだなあという気持ちになる。箱庭の中でなるべく精密に人を動かし、幾何学的にシステムを引いてゆく。ちなみに、彼は人間と人間の関係性を12種類に分けていたし、人間の感情は810種類にカテゴライズしていたそうで、それが印象的。

私みたいな人間からするとその気持ちや祈りはものすごく伝わってくるのだけれど、彼のファランステールの計画がどうなったかというと、まあ御察しの通り。人間”達”の行動がある程度モデル的だったとしても、言葉をつかう(というか、言葉で祈る?)人間は文脈に依存しすぎてぐずぐずになってしまう。(言ってて超痛い)

 

最近、幸福について割と真面目に考えてる。自分自身の幸福もだけど、ユーザーとか、そういう設計思想みたいなところで幸福について考えてる。

確かスティーブジョブズだったと思うんだけど、

我々人類が他の霊長類と違うのは、道具を作るということだ。ある人が様々な動物を比較して、移動に要するエネルギー効率を比較した。一位はコンドルで、ヒトはリストの上から1/3くらい。万物の霊長として恥ずかしい限りだ。
だがサイエンティフィック・アメリカンに面白い論文が載っていて、ヒトが自転車に乗ると、その移動のエネルギー効率はコンドルをぶっちぎりで抜いて地上の高等生物の一位だと言うんだ。
そこで思ったのは、私にとってコンピュータというのは、人の知性にとっての自転車みたいなもんだと言う事だ。自転車のように、人間自身が持つ知性の行動範囲を広げるんだ 

という話をしていて、なんかこんな風なコンセプトで物を作ると安定するなと思うけど、「人の幸福のために」とか言い出すと一気に足場が崩れるなと思ったりした。

 

しかもPCは人間の頭脳の補助ツールになりうるけど、車や家電、家具や洋服に関してはどうだろうか。少しレイヤーが違う感じもある。同時に、だからこそ幸福なんだろうなとも。

 

人が幸せに使うとか、使って幸せになるとか、それってどういうことなんだろう。あなたにとって”よいもの”とは?ということは機械系の学生を経験したことのある人なら必ず一回は尋ねられたことだと思うけれど。(その点ロボコンのロボットは”勝つことが全て”という非常にシンプルな存在意義を与えられていて、コンセプトで悩むことは少なかったなと思う)だから最近、製品の話を誰かとするときに「幸せについて」みたいな話が出るとドキっとする。

例えばの話ね。例えばエアコンの設計をしましょう、となったときに、ロボット掃除機をつけて「手間いらずで維持が楽」とするのか、簡単に必要部品を掃除できるようにして「汚れる代わりに手入れがしやすい」とするのか、その時点で技術的にもコスト的にもかなり話が変わってくる訳で。(うまく伝わる?)

コスト競争の話に対する違和感もそうなんだけど、企画を通そうと躍起になっているとき、時々自分が何をしたかったのか忘れかけてハッとするときがある。(つまり、コンセプトが揺らいでいる)

 

洋服や食品はストーリーでマーケティングが進んだ理由が多分そこなんだよね。それは他のものづくりにも浸透して来ていて、そんな今だからこそ、少し足を止めて考える。例えば、ルノーのキャプチャーが売れた理由を、あなたならどう解析する?

 

閑話休題、また考えがまとまったらまとめて記事にしよう。

 

今日の予定が完全に吹っ飛んだので、この際だと思って梅田に繰り出す。タイミング良く部活の後輩がいたので一緒に食事をした。

 

一緒に店を巡りながら、今度は恋愛に関するトピックの雑談?相談?を受ける。コミュニケーションについて私がアドバイスするのはどうなんだと思いつつ、色々考えた末に、おそらく必要かなと思ったので気持ちと言葉について最近得た学びを話した。まあなんというか、私たちのような人種の人間にとって、人間関係は悩みが尽きない。

 

「他人と自分が違うものだとハッキリ認識し、違うということを楽しみながら、協力して生活を営んで行く」という共通認識が持てて初めて本物の恋愛(そんなものがあるのか分からないけれど、なんかこう傷ついた心を場当たり的に慰め合うおままごと的恋愛ではなく、恋愛の文脈の末に結婚の文脈が接続できるタイプの恋愛)ができるのかな、と最近思い始めている。似た構造はダイバーシティとか多様性とか、その辺のトピックの時にも重要になると思っているけど、なんというか「他人と自分は違う生き物で、他人が何を考えているのか完全に共有することは不可能」という前提の前でいつも正しい対応ができたらいいなと思う。

 

ぶっちゃけアレなんだよね、ロマンチックラブイデオロギーに無理して乗ろうとすると、もう一人の自分を探してしまう悪い癖があって。うまく言えないんだけど、言葉を使って話し合った果てにお互いのことを完全に理解しあって一人の人間が二人いる、に限りなく近い状態を作り出せると思いたい節があるんだよね。でもそれって最高に相手に期待してるし、自分も期待されるよう動いている訳で、(ついでに、ホンモノの相手も見えてない訳で)……なんつうかこう、続くはずない!みたいな感じになるんだよね。(自己評価が低く自己愛の強い人間、つまりナルシスト的な人間にはありがちなこと)

直視すると頭痛くなってくるけど、変なところ完璧主義者なんだと思う、だからここ修正していかないと、多分同じ問題を起こし続ける感じがする。

 

あと、これは完全に余談だけれど、最近読んでいるムーミンシリーズはまさにこのあたりの話の教本に近い完成度だと感じる。真面目な話ね。あれはコミュニケーションの教科書かもしれない。

 

そういえば、話し慣れた相手だと、だいたいのケースに置いて聞き役に回れるのに、あんまりまだ慣れてない相手だと真逆の感じになってしまうのはなんでなんだろう。bpmが普段の3倍ぐらいの速度になって、終わった後疲れるだけでなくて周囲の人も巻き込んで疲れさせてるきがするんだよね。あれなんとかなんないかなー。

 

とかとか、割と盛りだくさんの今日だった。必要だと思ってた買い出しもできたし、久々に人と話したし、今日は前向きな1日だった。