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Good morning my dream.

0809、散歩の日

今日は妙な1日だった。

妙というのは現実感がないってことで、ほとんどオートパイロットモードで身体が動いていたように思う。体調が悪いときにこれになることが多いので、もしかしたら体調が悪いのかもと思って熱を測ったけど、特に何かあるというわけでもなかった。

 

料理の件以外の予定を早々に達成してしまったため自転車で近所を徘徊、なるべく注意深く街の景色を見て回った。終始、空は抜けるように青く、蝉はこの世の終わりみたいに鳴いている。川をひょいと覗けば少年たちが泳いだり魚を取ったりしていて、なんというか、小学校時代に夏が来るたびに滞在した呉の街を思い出す。このまま輪郭を失ってしまいたくなる夏の景色だ。

川辺の木陰で寝転がって、ヘッドホンでStaralfurとかVonとか飛んで行けそうなやつを集めているシガーロスのプレイリストを聴いていたら、気温が高いはずなのに体温が下がって行く感じがして、ああもうこのままお迎えが来て死ねるんじゃないかって思ったけど、実際は少し脱水してただけだった。

人生が続く、最悪だ。なんで4年前に死んどかなかったんだって気持ちが心をよぎる。

 

こうして、事柄と生死感が近すぎるのはヘルシーじゃないって分かってる。でも自分の生育歴のどこをみてもまともな人間に育てる要素がなくて、申し訳ないけどもう自分をあきらめたいなって思わなくなる日が来る気がしない。前向きな行動と精神のアンバランスでクラクラする。心の声に耳を傾け始めてから余計メンタルが安定しなくなってきた気がして、もしかしたら、このせいで過去の自分は言葉で考えることにしたのかもしれないとか思ったりした。でもなんかこう、自分自身がこういう感情を感じることを許されないことのようにも感じるので、冷静に考えて自分は気持ち悪いなあとしか形容できなかった。多重に内面化されたスタンダードたちが戦っている。結果が出るまで私は生活をしよう。

 

街の音を聞き、街の香りを嗅ぎながら、のんびり自転車を走らせる事自体は割と楽しめた。夏は冬よりも香りが色とりどりで、世界がパッとにぎやかになる。鼻が楽しい。徘徊の結果、好きな店、気になる店、好きな木の生えてる場所、景色のいいところ、不思議な構造物のある場所、妙に落ち着く匂いのする場所、会社への近道などの情報を得た。ついでに、図書館で会員カードを作り、最寄りの大学が部活で交流のある大学だったため顔を出したりした。知り合いが4人ほどまだ学生をやっているようだった。後日、飲みに行く約束をする。

その後、チラシ比較アプリで価格を比較しながら半径3キロ以内のスーパー5店をハシゴ。必要な食材リストがなくなる頃には割と疲れていた。

 

徘徊してわかったこととして、この街は豊田市とよく似たタイプの田舎だということがわかった。京都に下宿していた頃とはまたちがう特色がある。魚貝好きとしては魚貝が異様に安いのがいい。立派なチヌ1匹400円、鯛1匹350円、キラキラしたアジ150円、全部買って帰りたい。友達が来てくれれば無限に買えるのに、とは思うもののメンタルが完全に安定しないとメールは送れない。まあでも夏休みの間に、鯛を買って帰って三枚におろし、昆布じめとしゃぶしゃぶで食べるくらいの贅沢は許されるんじゃなかろうか。

 

なにはともあれ、食材の種類も豊富だし安いし、これならレパートリーに困ることはなさそう。というか、京都と比較すると全てのものが安いので本当に嬉しくなる。身体をなじませてゆこう。落ち着いてきたら近所の場末っぽいバーにも顔を出してみたい、その土地の地元民の方がその土地の昔話を知っている。ウイスキー片手にそういう話を聞くのが好きだ。

 

帰宅してからは戦いだった。

私は料理をするときに効率と段取りをとても重視する。なので地味に常備しているものが多い。それは独自のタレ(最低5種類ある)だったり、乾物だったり、スパイスだったり、下処理した薬味だったり、保存容器だったりする訳だけど、そういう「したごしらえ」をまとめて一気に行った。しんどい儀式だったけど、この儀式の結果新しいキッチンのレイアウトもとりあえず決定し、自分の身体が空間に延長された感じがする。こういう感覚が部屋の全てに浸透するまで夏休みを終われないので、少し急がないといけないのかもしれない。キッチン以外の場所はまだ手直しが必要な感じがするし、一番困っているのは掃除関連の道具の置き場所がイマイチ納得いかないところ。

 

今日の夕飯を作る。

時短メニューのレパートリーはそれなりにあるので、パッとできた。”レシピ通り”なことをやるのは得意なので、まあ普通に美味しい。実は昨日古本屋でレシピ本を購入しており、そのレシピに載っていたものを1品混ぜたのだけど、これが結構なアタリで嬉しかった。明日も何か1品その本からチャレンジしたい。

 

 自分一人だから(僕は胃が弱い)こんなメニューだけど、人が来るならもう少し華やかな肉料理なども出すし、なんでもリクエストしてくれ

 

そうそう、これ

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の前半部分を今日読んだ。ちょうど今どうしようもなく行き詰まっているトピックとして婚活のことがあったから、どれぐらい強力なのか試すためにそのネタで前半部分を実践してみた。とても苦痛だったけど、確かめてみて「ああ強力だな」と思ったので、また単独記事にしてみよう。(気力があれば)

 

と、ここまでざっくばらんに中身のないことを書いたところで、唐突にムーミンパパのセリフ「あの人は、一人暮らしが長かったから、いいたいことを、そのまま口に出してしまうんじゃないかな」が思い出されてなんだかまた死にたくなってきた。どう考えても情緒が不安定だし、別に誰にも所在を教えていないブログなんだし好きにやれば良いじゃないとも思うけど、最近こういう伏兵にすぐ気分を持って行かれてしまって、心がニャンって感じ。

 

最近思うんだけど、コミュニケーションにおける楽しい / 楽しくない、有意義 / 有意義じゃない、的な事柄を司るポイントってなんなんだろうね。僕も含めて、なんで人は集まるし、集まりたいとおもったり、集まらないし、集まりたくないとおもったりするんだろう。その間、心には何を入力して、何が見えているんだろう。辛いとか寂しいと思ったときに、洗いたてのコットンみたいな自然さで自分に寄り添ってくれる生きてる人なんて構造的に不可能なのに(優しさに名前がつく問題、と私は呼んでいる)、それを探してしまう自分に対しても意味不明さしか残らない。かといって、全部諦めて人間やっていくほど達観もできてない。結果、自分が具体的に何を選択すればいいのかもわからない。

 

心が勝手に演算しているんだ、選択や意思決定も勝手に行われてくれよと投げやりにおもうのだが、そうはならないし、なってはいけない。そこもまた意味不明だとなんだかよくわからないものに対する(多分構造に理不尽さを感じているせいだと思うけど)怒りのようなサムシングを抱えている。まあでも、自分以外の人間に自分の人生を生きてもらう事ができてしまったら、それ脆弱性どころじゃねーなってなるもんな。仕方ねーです、なんかすごく騙された気分だけど。

 

本当、どうしようもない。

明日は色々やることがあるので今日はお風呂に入って早めに眠ろうと思う。