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ブリューゲル展の感想

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バベルの塔展を見たので感想。

ブリューゲルメインみたいだけれど、他にもフランドル絵画がたくさん来日していた。

 

16世紀フランス(≒フランドル=ネーデルランド)といえば、戦争と飢饉宗教改革の時代。プロテスタントカトリックが戦ってオランダができた。この時代の物語としてはフランダースの犬があり、この時代の科学としてはメルカトル図法がある。そういうイメージ。

 

だから同じ時代でもイタリアと比較すると、一見病んでるっぽい絵が並ぶ。解説は「ナントカはナントカだったので、その象徴としてナントカは必ずナントカとして描かれる」みたいな、文脈を共有出来ないものが見ると気がつかないような比喩(つまり暗喩)の説明のオンパレード。つまりこれは、世界を提示すれば同じ結論(感情)にたどり着く、という世界観の元世界を要素に抽象化した作品なのだな、とわかる。

まあだから、今回のメインのひとつにヒエロニムス・ボスの放浪者などがあり、その説明(靴が左右違う、裏の建物は娼館etc)を読んで生々しい理解が降りてくるかと言われたらそんなことはなかった。この絵は誰かの救いや慰めになってきた絵なんだろう、だけれども、私の救いになるものではないのだな、というのがわかる。

 

ブリューゲルはボスが有名な時代に後から参入してきたらしく、かなり強烈な影響を受けて絵を描いているみたいだった。しかし、似たような形式の作者不明の作品と入り混じるようにして掛けてあるブリューゲルの作品は、彼の個性を際立たせていた。

 

この時代のこの地域(つまりフランドル絵画)の形式として、一枚の絵に必ず原題があるというのがある。そのため、その制約のない他の絵画と異なり、画家の編んだ構造と原題が必ず対応している。従って画家は、腕を評価される時に抽象化の巧みさを問われている。

そんな中で発揮される彼の個性、一言で表現するなら「わかりやすさ」だと思う。

 

ブリューゲルの絵はわかりやすい。わかりやすいとひとくちに言っても色々あると思うけど、多分彼の絵のわかりやすさは、役者を揃え、それを画面内にシンプルに配置する事に由来するのだと思う。感情の表現としての絵画ではなく、この意図を伝えるにはどういう構造にしようか、という意識が見える。自分と絵を切り分ける事、そういうコンセプトをブレさせないことは絵を仕事にしている人間にとって、すごい事だなと思う。

昔読んだ本の中に「ハッカーと画家」という本があって、その表紙にブリューゲルバベルの塔が選ばれていたけれど、わかる気がする。ドレでもキャルヒャーでもなく、ブリューゲルのバベル。作者か編者かわからないけれど、センスが良い人の存在を感じる。

 

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち

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さて、バベルの塔の話をしよう。

来日していたのはブリューゲルのバベルのうち小バベルと呼ばれる小さい方の絵。板の上に細かい筆致で書き込みが行われている。(なんと、この一枚の絵の上に1400人の人が居るそうだ)

 

小バベルは600×750 [mm]と小さく、その画面の中に納められたシンプルな構図と圧倒的なディテールが、観るものに与える視点は神さまの視点のように思う。それはつまり、5世紀後の文脈を持たぬ我々まで伝わるシンプルさってことだ。

 

バベルの塔の物語は、ノアの箱舟の物語と同等程度の認知度があると思う。どちらも有名な話だ。でも一つ興味深いポイントがあって、実は原典にあるノアの箱船は4章からなる長編なのに対して、バベルの塔の記述は1章ぶんしかない短い説話なのだ。同じように短い説話は、他にも最初の罪、カインとアベル、信仰などがあったはずだけれども、タイトルを聞いてパッと思い描くものが同じイメージの話はどれぐらいあるだろう。これが視覚イメージの力なのかなと思う。だとしたら少し、皮肉な話ね。

 

そうそう、調べていたらブラッドピット主演のバベルって映画があるらしい。少し気になったので、そのうち気が向けば見るかも?