attracting section

Good morning my dream.

0924

この土日は気分的に家から出られなかったので、壊れたハードディスクみたいに接続と切断を繰り返しながら家にいました。結局それらしいことは何もできておらず、強いて言うなら多少家の手入れができた程度。まあでも、先月はほぼ面倒な形式の営みをそのままこなし続けていたので、レイアウトの微調整を終えられたのはラッキーでした。

 

昔書いた文章を見返していたのだけど、そこに「僕は良い物語になるように求められているし、僕はそれを承認しない理由を思いつけないでいる」と書いていて、ならどうして君は一番大切な部分をアウトソースしているの、という気持ちになっていた。

 

そして、なんとなしに友人の言葉を思い出す。多分これは、私が今意図したいものと別の文脈を持った言葉だけれども。

 世界は本のようなもので、そこには喜びと悲しみ、信仰と懐疑、自由と必然、その他ありとあらゆるものが書かれているけれども、しかしこの本には読み手が欠けている。未だかつて世界を読んだ者はいないし、これからも決して現れない。閉じ込められた文字たちの叫びは、紙面に傷一つ付けられやしない。

 

最近の自分は捨てたいと思って捨てた筈の嫉妬心(あるいは余計な自尊心)のようなものが戻ってきていて胸焼けする。最近かなり自分に寛容的になれてきたつもりだったけど、電子レンジの中に食事を忘れて腐らせるミスをまたやったので地味に心がざわついたというか、いくらなんでも普通に普通のことすらできないのは何とかならないんだろうかとかグルグル考えてしまって要らない消耗をしたりした。別にこの程度のことで、と思うがそのコメントすら最早しんどい。グルグル、グルグル。言わぬが花とか、そういう類の言葉が延々と自分に降り積もる。「私は私だし、こういうとこもある」とか「疲れてんなあ」とかで笑って終わりにしたいし、するべきだと思うんだよ。なのに何でこう些細な事をバカみたいに考えてしまうんだろう。井伏鱒二みたいな世界観だ。

 

世界は今日も美しいモノやヒトで溢れているし、そうあれないのは自分だけだ。哀しいなぁ

 

 

(アメリカからボードも取り寄せたので、後は箱を作れば次の記事が書ける)