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Good morning my dream.

性別についての近況2

最近女性らしい装いを心掛けていて、今日ついにふんわりした白いスカートを履いて出社した。結果すごく些細な自己嫌悪の数が増えて、ああ多分、自分の女性性が嫌というよりは、フェミニンなスタイルで出掛けた時、心に擦過傷が増えるから、そういう風に解釈していたんだなと分かる。

お洒落をすること、それ自体は楽しい。髪をセットして、自分にあう化粧をして、自分向きのカラーや形の洋服がスタイルとして形になると嬉しく感じる。ただ、それは絵としての整合性であり、動き始めると話は別になるみたい。なんか、女性らしく?振る舞う自分が許せてない。

許せてない、というと少し語弊があるかな、より許されない感じがするんだよね。声の高さ、誰かに話しかけること、ふわふわの茶髪、ヒラヒラのスカート、丸いフォルム、柔らかで華奢なカラーリング、それを選択する精神性、なんかこうコンプレックス持ちの少年バリの嫌悪感を発揮して来る。
粗方のトラウマは精算できたつもりでいたけど、外見は真っ先に自分から切り離した要素だったからかな、恐怖心が残っているみたい。

 

スカートで出社した帰り道、久しぶりに昔の事がフラッシュバックして感傷的になっていた。今から思えばそんな取り沙汰する必要を感じない、しょうもない話なんだけど。過去は変えられないから、認識の外に沈んでいたコンプレックスの塊をまたひとつ見つけて、「ああ君だったんだね」というような気持ち。

真っ黒いリクルートスーツ以外で初めて買ったスカートは、ずっと箪笥に仕舞われたままになっていたけれど、どうやら存外悪くない景色だったようで、仲の良い同期が褒めてくれたりした。

 

変えられない過去と違う未来を線で結ぶことは、せっかくもらった好意を踏みにじってしまうよくない行為だなあ、と思ったりする。不安定になっているメンタルに、「大丈夫だよ、彼らはあの人たちじゃないよ」と話しかける。

 

私は自分を良い物語にしたいんだと思う。低い自己肯定感とキツすぎる自己愛でグロテスクになってしまっている私と、そのグロテスクさをカウントせずにいてくれる友人達と、それを包括する一切合切に対する愛憎と。それらを全部スパイスにできる大円団を作りたいんだと思う。

 

だけど、なんかもうそれすらしんどいんだよね。もう、女性について考えたり調べたりしたけど、くたびれねこさんですよ。僕は僕だし、なんかもうチョット諦めムード。早く自分を忙しくして、こういう感情を見ないようにしたい。だって、結局やれないものは努力してもうまくいかないしな……

 

まあなんだ、さしあたり、今気になるのはやりたい振る舞いの実装方法の模索と、適切な睡眠スタイルぐらいはやろうかな。

 

外見と自己認識のアンバランスを正したい。コミュニケーションをどうやったら良いのかどんどんわからなくなっていくし、その事で頭がいっぱいになってその事ばかり話してしまうし。そういうの辞めたいな。

内面化しすぎている他者の視線を無視して、私が私を選択する事。人間関係の文脈で、そこに宿る間接的な優しさに気がつけたから。

 

これから来る2日間は自分の振る舞いを見直すチャンスかもしれない。私は私を選択しようと思う。