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Good morning my dream.

0807、ヨンシーかっこよい

昨日計画を立てていた通りの今日でした。

収納家具の運搬と皮膚科受診が完了しました。生活関連の雑記帳への記入も済ませた。

やはり部屋は自分の思考の延長であるべきだね。自分好みのものに囲まれた生活、これ以上の幸せってない。おかげで生活を整える作業が楽しくなってきた。

 

相変わらず、一日中シガーロスを聞いている。何か作家についてわかろうとするとき、私はそのことで頭がいっぱいになってしまうのだけれども、今回もその毛が強い。シャッフルの途中でライブで聞いた曲のイントロがなり始めると、例の景色と振動と香りを思い出してまた心がさまよい始める。昨日性別のことについて書いたのはヨンシーのことを調べたり考えたりしていたからかもしれない。ヨンシーのソロアルバムもアクセスできる物はほとんど聞いた。歌詞が英語で、そっちに関してはすこしずつ訳してる。

 

ニコとヨンシーの対談記事を読んだ。日本語に訳してくれている人がいて、原文記事にはもうアクセスできなくなっていたから、その人がブログに載せてくれなかったらアクセスできなかった記事だ。本当にありがたい、ありがとうございます。

blog.excite.co.jpこの記事なんだけど。ところどころ、ああ……と思ってそれだけでも泣きたくなるときがあるんだけど、その3にあったヨンシーのセリフが強烈だった。下に引用したところあたりから先が刺さって、また泣いてしまった。

シガーロスのライブを聞いてからこっち、なんか毎日泣いている感じもある。情緒不安定だし、今すぐリカバリーセンターへ僕を持って行ってほしい。

J:確かに、その通り。同じようなことが僕にも実 際に起こった。レイキャヴィク校外の小さな街のモスフェッルスビャイルで育ったから、21歳くらいまでゲイもレズビアンも会ったことがなかった。21歳っ ていうのは、僕がカミングアウトした時だ。カミングアウトするまでは、自分に満足感を与えてハッピーにしておかなくちゃという思いがある。その唯一の方法 が何かをクリエイトすることだった。自分自身のために何かを作る必用がある。絵を描いたり、音楽を作ったり、と。本当は同じような少年に出逢い、キスした りハグしたりしたいけど、それが出来ない。だって自分の他に誰もいないから。小さな街の中に閉じこめられているから。
N:それに、例え誰かそういった人を知っていたとしても、どうも落ち着かない。
J:そう、友だちを好きになるという大きなミステイクをし続ける。ゲイにありがちなこと。
N:友人に恋しちゃいけない。ゲイであるということは、それ自体が孤独だ。それも強烈な孤独。物事の本質だから仕方ないけど、すごく孤独だ。
J:それはそうと、ゲイであることはミュージシャンの僕に多くの影響を与えた。音楽を作る時、多くの場合それが焦点になるし・・・(脱線して、彼の目はコーナーにあるテレビのスクリーンへと釘付けになる)

あんまり引用すると長くなるし、もう本家のページを見てきてくれ。私は彼らと持っている状況は異なるし、乗り越えてきた壁の厚みも全く異なるんだろうけど。

それでも、少し前向きになれた気がする。私もこんな風に、「ヘルシーだ」とか笑えるようになりたい。

 

ふう、ちょっと熱くなっちゃったな。

今日の話の続きをしよう、あとはナンテコトない話だけれど。

 

新しい街で通う事にした皮膚科は、今年の5月に開院したらしい。うまい具合にインターネットを活用してくれるので、私と相性が良い。病院の内装がえらく洒落ていて、レプリカか本物か見間違いか分からないけど、最近見た北欧系のデザイナーのカタログで見た椅子が並んでいて待合室の景色が良い。正直、この椅子に座れるだけで「ここにしてよかった」とか思うレベル。

 

最近、自分の感性に近いものを街で見かけるようになって嬉しいな、とか一瞬思ったけど、自分が好きだなと思う人たちの発言や記述を報酬系に、カタログや雑誌を中心に学習を行ったんだから考えてみればそれは当然のことか。そこまで考えたあたりで、最近問題にしていた「私は誰か問題」の扉がまたパタパタした。なんつうか、自分の直面している問題がコレだから、本当にヨンシーのセリフは輝いて見えるよ。彼らはかっこいいなあ……

 

まあでも、今日はおおむね良い日だった。

今日のインターネット。

この件(http://gizmodo.com/exclusive-heres-the-full-10-page-anti-diversity-screed-1797564320)で今日はネットが荒れていた。昨日性別について記述したし、私の中でタイムリーな話題だ。ダイバーシティの揺れ戻しは絶対来ると思っていたけれども、雑な抽象化のひとつのケースとして読んだ。何が正しいのかは私には分からない。ただ黎明期において、個人レベルの話でこういう意見があるのはまあそうだろうなあと思うのだが、システムとしてこういう向きを取られた場合自分はどう感じるかな、と少し思う。機会均等って難しいよね。

 

今日考えたこと。

父親の誕生日だったのでメールを出した。返信は「頑張って長生きします」の一言だった。なんだか血を感じる。