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Good morning my dream.

0810、ハロー!プロデューサーさん

1、まえおき

分節化の仕方は個人によって異なる、ということを、逆にしても成立するかどうか考えていた。つまり、分節化の仕方によって人間は分化されるか、という問い。

分節化の仕方。一本線を引いて、世界のうちのどの部分をくぐらせるか定めてゆく作業。状況と向きに関する無数のデータの結びつきを体に行き渡らせてゆく行為というのに同意する。私の感覚と重なる。

 世界をどのように分節し、分節されたそれぞれの状況においてどう行為すべきか評価すること、人間がやっていることはたぶんそういうことだ。言 語使用や思 考 も例外ではない。僕らが思考や言語を特別視しがちなのは、それらがそれら自体によって規定されるようなちょっと入り組んだ構造をしているからに過ぎない。 結局のところ思考は身体的所作の延長なのだ

この表現がリアリズムを持つ。それくらいには近いところにいる。
たったそれだけ。だとしたらなぜ、僕は普通に振る舞えないのか。

発達障害を疑ったのは人生の中で1度や2度ではない。持病の関係で某大病院に出入りしていたから、その時に交渉して試験だけ受けさせてもらったりしていたけれど、僕のスコアはむしろ普通より少し良いくらいで、機能としては正常に動作しているらしい。
パラメタの形状から心持ちスペクトラムの延長線上にいる可能性も添えられていたが、別段なにか薬を飲んだりしないといけないことがあるという訳でもないと断言されてしまった。ということは、それは暗に自助努力の問題ということになる。自助努力ってなんだ、これ以上どうすればいい、という気持ちがふつふつと湧いてくる。

性別観にしても、機能にしてもそうなんだけど、なんだかこう、基本的に私はどこにも属せない。絶えず異邦人としてしか集団に接することができない。人には理解者が必要で、マイノリティだって派なのに、だ。私が一人か二人で行動するのが好きなのは、おそらくこの辺りの事柄が関係しているのだと思う。好きなのかどうかは不明で、ただ余儀なくはされている、としたほうが状況をよく説明するかもしれない。

社会の中の、単なる立ち位置。そうは言っても、立ち位置というのは馬鹿にならない。
死ねないということは、そこで生きて行かなくちゃいけないということだから。

と、いうわけで。
餅は餅屋だ、ということで、以前ヒョンなことから出会っていたその道のプロのカウンセリングプログラムに申し込んだ。

2、人材プロデュースのプロ

担当コーチは若い男性だった。心理学的なトリックをうまく体得しているのが会話から見えて(これはすごいことだ、知識として知っているというのと実際に行動できるというのは違う)、いかにもだなあという気持ちになる。

でも、独力で状況を前に転がすのはもう限界が見えていて、そろそろ外界からの刺激が欲しかったので良い機会だと思うことにした。

 

予想に反してかなり丁寧なカウンセリングを受け、「現状何が問題なのか」「どういう優先順位で問題を解決するか」ということを相談しながら決めて行く。

私の場合、ルックスの問題とメンタルの問題の二点を一番最初に修正することになった。具体的には「垢抜ける」と「完璧主義をやめる」ためのトレーニングを、これから戦略的に行うこととなった。

 

3、垢抜ける

美容院と服屋に行った。あらかじめかなり体型を絞ってから行ったのでダイエットの工程が割愛されたらしい。

 

指定された美容室にはすごく人気な感じだった。アシスタントらしき人が3人いて、髪自体は必ず一人の人がカットして回っている。私がやったことは「維持しやすい髪型で」「垢抜けたい」「全部お任せします」とだけオーダーして、後は座っているだけ。

二時間後には、かなり印象の変わった自分がそこへ座っていた。後は1ヶ月半〜2ヶ月に1回そこへ行くだけで自動的に髪型が良い状態に保存される。

 

私は、きれいめ系というファッションのジャンルが似合うらしい。

服屋をめぐり、私に似合うパターン、色、サイズ感、ショップにつてのレクチャーを受ける。自分に似合っている・似合っていないを判断することがそもそもできない状態にいたところへ、大量の情報をインプットしたため結構体力を消耗した。まあでも、要領を理解したのでなんとかなると思う。

 

あとはメイクらしい。メイクに関してはまた後日先生を呼んで行われる。

 

4、完璧主義をやめる

私の抱える哲学的不安(と、便宜的に書くけれど本物の哲学ではない(というとまた論争を生むがニュアンスで察してくれ))に対する構造の提案は不可能だということを言われた。代わりに提案されたのが、本質的解決ではなく、テクニックによって問題の炎症を抑えるような解決の仕方。その行動の束を包括的に表現すると「完璧主義をやめる」ということになるらしかった。

 

具体的に、やることはこんな感じ。

  • 「相手がこう思っているかもしれない」を一切考えない。そのために、コミュニケーションにおける責任の所在を明確に切り分けて、「考える」と「考えない」の評価軸を内面化する。
  • 言葉を使うのは表現までと決めてしまう。その後、評価しない癖をつける
  • コミュニケーションが上手な人と定期的に会うようにする
  • 冗談への対処、非言語の(それは身振りや表情)コミュニケーションについて場数を踏む
  • 相手が話し終わるまで待つ。「無意味に焦るのは完璧主義者の特徴、心にひとかけらのスペースを」

 

これをとりあえず1ヶ月、毎日意識してツイッターなどに記録をつける。

 

5、終わりに

自分の容姿を一気に変更したので、鏡を見たときに一瞬自分だという認識が持てず一拍おいてギョッとするときがある。外見って不思議だ。

 

眠る前にものすごく気分が楽になっているのに気がついてびっくりした。

初対面の人といろいろ話し込んで、更に美容室に行ったり街をうろついたり、いろいろしたのに心に傷がいってない事なんて最近なかったから、「こんなこともあるのか」と思った。

 

心をうまく使う事、それができるようになれば、私もおそらくそんな振る舞いができるはずで、集中して実践してゆこうという気持ちになる。やっていくぞ。