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Good morning my dream.

0909、最近のコミュニケーション

自分が異常な速度で変化しているのが、最近わかる。なにがどうしてそんな試みを始めたのかもう忘れたけど、変わろうと思って試行錯誤のノートを作ってから色々あったなあとしみじみ。

 

できる事とできない事のリストに大幅な変化があったかというと、残念ながらそんな事はなくて。細かな事のうちいくつかなら辛うじて、という進捗率だよ。今日も精神がひりつかないわけじゃないし、人は怖いし。コミュニケーションを取るたびに失敗と成功を累積して、ふと誰もいない部屋に帰宅すると爆発したい気持ちになる。それでも諦めずに人とコミュニケーションを続けていて、半ば強引に基軸に据えようとしている。

 

でもそれは、割とみんなやってる事らしい、という事がここ最近のコミュニケーションで分かってきた。劇的な改善じゃないんないけど、劇的な気分の変化と言えるかも。……一応、みんながやってるから安心って意味じゃなくて、構造的に普通なんだなと分かったっていうニュアンスのつもり。

私の場合、そういうフラグを自分の中で建てられるかどうかっていうのは割とひとつの指標になって、それはどういうことかと言うと、慣れの問題という形式に問題を移すことができるかどうかというところに関係してくるんだよね。

 

精神と行動の振れ、少しずつ良くなったり悪くなったり振幅を繰り返しながら、最近は前向きに生きること(つまりそれは、いままで年月をかけて積み上げて来た確信を体感的に覆すこと)も慣れの問題なのだと感じられるようになってきた。

 

後は、人の話を聞く事の中身が変化したかなと思う。聞いて意味を咀嚼するだけが聞くってモーションじゃないのかもしれない。……かと言って、話すに必ずその姿勢を強要するのも嫌で。そこは構造的な関係性はないんだなってわかる。だけど実装がむつかしい。

 

最近は自分が窮屈な空間になりたくないなと思う。

同時に、私はずっと自分が肯定できなくて、否定のエネルギーをガソリンに世界を回し続けて来たと思っていたけど、それはただ、世界に自分が一人きりみたいな気持ちで生きていたせいだったんだなと、感じるようになってきた。

 

僕はコミュニケーションによって世界を加速させている。運用によって言葉を保証している。氾濫する価値観のただなかで、根を張る人々のキャリブレーションによって自分を保っている。

 

チョット照れる表現だけども、なんだろうね、私はこういう営みのことを「自分は愛されている」と表現したい気持ちになってきたよ。